(連載)「インドネシアの生活風景」   (12)オランダ時代からのレストラン「ティップ・トップ」

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   こちらメダンではオランダ占領時代の時オープンしてから現在まで続いているレストランがあります。ティップ・トップといいます。トップはもちろん最上、最高という意味ですね。ティップは店主のクン氏のよるとトップだけでは物足りないので、足しただけということです。でも私の想像によると、このお店はずっとむかしから、ボーイさんたちにチップを上げるのが習慣になっているので、もしや。。と思ったんですが。(笑)

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ご存知だと思いますが、インドネシアはオランダに三百年間支配されていました。今でもオランダ時代の名残が多く残ってる建物、店、言葉、まして国の憲法にもまだ当時の規定をいくつか使用しているものがあります。
こちらの貴族や政府関係などに携わっていたお年よりはオランダ語を流暢に話せる人も多いです。

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このレストランは1929年に始めてオープンし、始めはヤンキー(Jangkie)という店名だったそうです。ヤンキーというのは中国系の一代目の名前です。
場所も別のところで、1934年にオランダ時代の跡が多く残っている繁華街のクサワン通りに移りました。
内装からキッチンまで昔のままで、特にレジの計算機は本当に古い形です。洗面所にあったハンド・ドライヤーも当時のままです。ただ今は使われていませんが。当時こちらに住んでいたオランダ人やオランダからの観光者が訪れるれて来るということです。ウエートレスや特にボーイさんたちはオランダ時代の真っ白な制服を着て、白い小さい帽子をかぶっています。IMG_1706

店主によるとこの前、こちらに住んでいたオランダ人の孫が観光に来て、ここのアイスクリームがおいしいと祖父から聞いたので・・という人がわざわざ店に来たそうです。ただアイスクリームのお持ち帰りはできないそうです。なぜならばこちらにはドライアイスを作っている工場がないからです。近くに住んでいる人しか買えませんね。

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ケーキなどのお菓子類も特別の石で作ったオープンで焼いているので、香りや味が他の店の菓子類とは違っているという評判です。メニューも西洋料理、中華料理、そして本場のインドネシア料理と三種類あります。

お客さんの大多数は三代続いているお得意さんも。又従業員もやはり若い時から勤め、結婚して親子で働いている人もいるそうです。
従業員が長く勤めてくれる秘密は家族的な対応をしているからだと言っていました。
店内の壁には当時、レストランで食事したり、家族全員で集まっているオランダ人の写真が何枚か掛けてあります。イスやテーブルなどもとても古い形です。

IMG_1691ちょうど断食のときだったので、イスラム信者の人たちが、家族そろって、断食明けの時間を待っていました。料理もテーブルの上に用意してありました。ボーイさんたちがもう断食明けの時間になりましたよ、という合図でみんないっせいにまず飲み物を飲みました。みんなとても楽しそうです。どこの国の人も家族そろって食事するということは幸せな雰囲気ですね。特に13,14時間食べ物、飲み物を一切口に出来ないという忍耐強さを守ったあとの食事は格別です。
私も断食明けの食事してから、支払って、おつりを見たら、細かいのが少しあったので、チップのことを思い出し、テーブルに置いておきました。

 

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著:Lily Fatma (リリー・ファッマ)

 逗子生まれ。父親はインドネシアの北スマトラ出身、母親は日本人で横浜生まれ。小学校と中学校は日本の教育を受け、その間も外交官の父についてインドネシアと日本を往復。高校在学中に在日インドネシア大使館を退職した父について帰国。現在はメダンで高校生、大学生、一般の人に日本語を、そして日本人にはインドネシア語を教えている。

 

 

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