(連載)「インドネシアの生活風景」   (14)メダンの市場  魚屋さんとパイナップル屋さん

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こちらには便利で清潔なスーパーもたくさんありますが、まだまだ昔からある市場というのも多く残っています。

今回メダンにある小さい市場でもう十六年魚屋さんをしているハンバリさんを紹介します、ガンバリやのハンバリさんです。●IMG_1943
インドネシア人は日本の人と同じように魚を食べるのが好きです。特にインドネシアは四方海に囲まれている国ですから、海の幸は豊富です。また民族によって異なった魚料理があります。
ハンバリさんは毎朝三時半には起床、中央市場に一人で買出しに出かけます。
生きのいい魚を六時ごろ奥さんが待っている市場へ運びます。
彼は海魚だけを売っています。
●IMG_1946今学校は新学期前の長い休みなので、高校生の長男も商売を手伝っています。魚を切る手先も器用なものです。もうお父さんの立派な代わりになれますね。

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ハンバリさんは本当は四年制大学を出たんですが、この仕事が性に合っているそうで、そのおかげで家も建てられました。
いままであまり休日もとりませんでしたが、断食明けのイスラム祝日には三日間ぐらいはお店を閉めるそうです。

もう一つ同じ市場にある生きた養殖魚を売っている店を紹介します。レレというなまずのような魚、パティンという黒い魚、ちょっと鯉に似た魚、色々あります。●IMG_1952
秤で計ってから、その場で下ろしてくれます。このお店は、魚料理に使う香辛料なども売っています。便利ですね。

次は市場の前の道路で売っているパイナップル屋さんです。●IMG_1967
トラックの後ろに山のように詰まれているパイナップル。小粒ですが、北スマトラのパイナップルはあまくてジューシーです。
小さいのは一つ五千ルピアでした。
そのまま食べるのはもちろんもう熟したものです。売っているおばさんが適当な
のを選んでくれます。
パイナップルは食用のためでなく、皮は冷蔵庫の匂い消しのために使われています。●IMG_1956

 

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著:Lily Fatma (リリー・ファッマ)

 逗子生まれ。父親はインドネシアの北スマトラ出身、母親は日本人で横浜生まれ。小学校と中学校は日本の教育を受け、その間も外交官の父についてインドネシアと日本を往復。高校在学中に在日インドネシア大使館を退職した父について帰国。現在はメダンで高校生、大学生、一般の人に日本語を、そして日本人にはインドネシア語を教えている。

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