(連載)「インドネシアの生活風景」   (17)親族のつながりを強める「アリサン(集まり)」

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 今年の7月17と18日は(場所によっては16日のところもありました)全世界のイスラム教信者にとって待ちに待ったイスラム祝日でした。
こちらインドネシアでも人口の約80パーセントのムスリム(イスラム信者)がお祝いを分かち合いました。約一ヶ月間の断食(日の出前から飲食、他の欲を日の入りまで絶ちます)が終わってから、アイドゥール・フィトゥリ(イスラム祝日・アラビア語)の第一日目の朝は家族そろって近くのモスクへ礼拝に行きます。
●IMG_2647その後自宅に戻って夫婦はお互いに祝日のお祝いの挨拶(一般に妻は夫の手の甲を自分の額に置き、次に夫は妻の額にキスをします)それから子どもたちは並んで座っている両親に対して母親が父親に行ったことと同じようにします。要するに目上の人に敬意を表します。
それが終わってから、

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みんなそろって祝日のご馳走をいただきます。
二日目には親族の家や近所の人の家に挨拶に行く人も多いです。又は子どもたちが喜ぶような遊園地、動物園など娯楽場へ行く家族もいます。

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 でもここスマトラ島ランプン州の西ランプン、ベババラウ郡のクナリ村ではイスラム祝日には一般とは違う祝い方をします このクナリ村では二日目に村の人たちは色々な形のお面をつけて踊りながら、そして奇声を発しながら同じ村に住んでいる親族や知り合いの家に挨拶に出かけます。
この行事はセクラと言っています。ランプン語でセクラはお面のことです。
お面は木で作られていたり、ただ布を頭から被って、サングラスをかけたり、ピナンの木の枝を付けたり、色々です。セクラには二種類あります。セクラ・カマックとセクラ・ブティック。カマックは大人の男性がつけるお面のことです。ブティックはまだ若い男性がつけるお面です。カマックは汚い、醜いという意味で、ブティックはきれい、清潔という意味です。
この慣わしは9世紀から始まって今もずっと続けられています。
当時始めてイスラム教がこの地域に入ったとき、今まで精霊信仰を崇拝していた村の人々とイスラムを信じる同村の人たちとの戦いが始まりました。
以前は親族関係や友達関係の人たちだったのが戦わなければならない状況になってしまいました。お面をつけたのは、お互いにだれだかわからないようにしたのです。
村人の宗教の戦いは現在はもう無くなりましたが、断食において自分の欲との戦いは今も続いていますから、断食が終わってから、お面や仮装を着けて、昔の歴史の思い出を反芻しながら祝日を祝います。
この仮面行事は祝日から約一週間続きます。例えばある村がこの行事を行なったなら、他の村の人々はみなでその村を訪問します。次の日、別の村が行えば、
又同じことをします。このように西ランプンにある全ての村の繋がりは保てられていきます。
西ランプンの人々にとって、この仮面行事は人との関わりを強める大切なものとして扱われています。又この仮面をつけてあいさつ回りをするだけでなく、若い人たち、子どもたちもいっしょに楽しめるスポーツや娯楽も行います。
例えば、ピナン(パーム木)の木上り競争(簡単に登れないように木の周りに油を塗る。木の真上には色々な商品をかけてあって、それをみなで取り合う競争)などです。
このような慣わしはいつまでも続けていってほしいですね。

著:Lily Fatma (リリー・ファッマ)
 逗子生まれ。父親はインドネシアの北スマトラ出身、母親は日本人で横浜生まれ。小学校と中学校は日本の教育を受け、その間も外交官の父についてインドネシアと日本を往復。高校在学中に在日インドネシア大使館を退職した父について帰国。現在はメダンで高校生、大学生、一般の人に日本語を、そして日本人にはインドネシア語を教えている。

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分類 ◇連載:「インドネシアの生活風景」