連載「最新インドネシアビジネスニュース」(18)

デヴィー夫人が語るプレマンの実態と恐怖(中) 『デヴィー夫人とスカルノ大統領』

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2.デヴィー夫人とスカルノ大統領

この「共産党狩り」の主役が、プレマンだ。軍のバックにより民間人であるプレマンが、「狩り」の実行犯になるのだ。映画「アウト・オブ・キリング」の主役も、当時「共産党狩り」の実行犯であるプレマンだ。

この映画公開にあたってデヴィー夫人が発言した内容を書いておく。もちろん、デヴィー夫人はスカルノ大統領の夫人で、事件当日もジャカルタにおり、最も危険な状態であった。


デヴィー夫人の映画発表後のコメントは以下。

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(出典:YouTube

「スカルノ大統領は別に共産主義者ではありませんし、共産国をそんなに親しくしていたわけでもありません。スカルノ大統領は「ザ・サードフォーシス」。要するに、あの当時、1950年、60年時は、アメリカとソ連のパワーが世界を牛耳っていたために、スカルノ大統領は、中立国と社会主義国、アジアアフリカ、ラテンアメリカの国々を統一して、第三勢力というものを作ろうと頑張っていたところに、ホワイトハウスから、大変にらまれまして。

それは他にも太平洋にある国々でアメリカの基地を拒否したのはスカルノ大統領だけです。そんなこともありまして、ペンタゴンからもスカルノ大統領は憎まれていました。

なので、アメリカを敵にまわすということは、みなさんどういうことかをいうことは私が説明しなくてもお分かりになっていただけるとおもいます。

それから、1965年の10月1日未明に、スカルノ大統領の護衛隊の一部。一部ですが、6人の将軍を殺害し、一人を逮捕するという事件が起きてしまいました。この護衛隊達は、この6人の将軍達が、「10月10日、建国の日にクーデターを起こそうとしている」ということを、知って、その前にこの将軍達をとらえてしまおう。ということだったんですが、実際にはとらえている最中に殺されてしまった、という。

その建国の日というのは、大統領官邸の前にインドネシアの全ての武器、タンクから全兵隊が集まるわけですね。

ですから、そこの前で大統領が立って、スピーチをなさいますから、大統領を暗殺しようとするなら、それが一番簡単なことだったんです。あの、エジプトのアンワード大統領も軍隊の行進の最中に、暗殺されたのは、みなさまも覚えていらっしゃるかとおもいます。けど、まあ、そういうことが行われようとしていたということなんです。

今、お話がありましたように、7番目に偉かった将軍がスハルト将軍で、10月1日の朝早くに、インドネシアの放送局を占領しまして、「昨夜、共産党によるクーデターがあって将軍達が殺害された、」と言って、すぐに共産党のせいにしました。

そして「赤狩り」と称するものを正当化して、国民の怒りを毎日、毎日煽って、1965年暮れから、1966年、67年にかけまして、100万人とも200万人とも言われるインドネシアの人たち、共産党とされた人たち、あるいは全く関係のない、ただスカルノ信奉者というだけで罪を着せられて殺されていったという事件がありました。

この度、この映画で初めてこれが事実だということが証明されて、わたくしは大変嬉しく思っておりまして、ジョシア・オッペンハイマー監督にはこの偉業を本当に心から、心から感謝してやみません。

何十年間と、汚名を着たまんまでいましたスカルノ大統領ですが、この映画で、真実が世界的に広まるということにおいては、本当に嬉しくて、感謝しております。」


町田智浩氏(インタビューアー)「スハルト将軍によくクーデターが起こった時、ご自身はどちらにいらっしゃいましたか?」

デヴィー夫人「私はジャカルタにおりました。で、大統領もジャカルタにおりました。で、あの大変頭のいい方で、それがクーデターとなったのは結果的にクーデターになったわけで、要するに、その当時のインドネシアの情勢を完全に彼が握ってしまった、という。そして、当時の空軍、海軍の指導者たちにも、国民から疑いの目をむけられるようになったりとか、しまして。

その当時、アメリカそして日本がスハルト将軍を支援して、佐藤首相がが当時だったのですが、佐藤首相はご自分のポケットマネーで、600万円、その当時の斉藤大使に渡して、暴徒たちやその殺戮を繰り返した人たちに、資金を与えているんですね。
そういう方が、後にノーベル平和賞を受けたということは、わたくしにとっては大変な憤慨をしております。

町田「その時は大統領官邸にいらっしゃったのですか?」

デヴィー夫人「わたくしはウィスマ・ヤソーにおりました。」
[ウィスマ・ヤソー(Wisam Yaso):ガトット スブロト通り 14番、現在は_インドネシア軍の博物館になっている]

町田「戦車が出たり、大変な事態になっているわけですよね」

デヴィー夫人「そうですね、夜は。あの時は誰が味方で、誰が敵かわからな状態で、もう、タンクの音がゴーって夜響きわたるんですね。もしわたしくに家に入ってきたならば、わたくしは飛び起きて、窓を飛び降りて、庭を突っ切って、ヤソー宮殿の裏にある川、川の中に身を沈めて、竹を持ってですね、日本の忍者みたいに。あの冷たい川の中で、何分ぐらい居られるか、走って何分ぐらいでそこにたどり着けるか、そんなことを考えて、毎晩ズボン履いて寝ていました。」

町田「宮殿のなかで身を潜めていたのですか?」

デヴィー夫人「そうですね。わたくしのところには護衛官はいましたけど、その護衛官がま、8人ずつで交代でおりまして、事件当時は30人、40人に増えましたけれども、その人たちがいつ裏切るかわかりませんし、その人たちが味方なのか、スパイなのかわからない状態でした。」

町田「スハルト将軍が反対者を皆殺しにしているなかで、日本大使館に逃げ込んだりするということは考えられませんでしたか?」

デヴィー夫人「わたくしが日本大使館に逃げ込むということは、大使館や日本政府にご迷惑がかかると思いましたので、その当時わたくしが持っておりました高価なモノをお預けしました。そうしたら、なんか斉藤大使は、わたくしが預けたモノを庭に放り出したという噂をききまして、その当時斉藤大使にいらした料理人ご夫妻がですね、わたくしが預けたモノを全部わたくしのところに届けにいらっしゃいました。

そのあとですね、彼(斉藤大使)は日本の外務省にとんでもない報告をしまして、その報告によって日本政府がひっくり変えって、スハルト将軍応援のほうにまわったのです。

町田「それで、最終的にはスハルト将軍を承認するという形になりました。日本政府もアメリカ政府も・・」

デヴィー夫人「そうですね、スハルト将軍のほうですね。この斉藤大使というのは、その当時アメリカの大使と非常に親しくしておりまして、このアメリカの大使は赴任する先々で内乱がおきたり、クーデターがおきたりする方で有名な大使だったんですね。」

町田「その当時、スカルノ大統領は監禁された状態だったんですね?」

デヴィー夫人「その時には、監禁されていませんけれど、その後で、幽閉のような感じで、ヤソー宮殿のほうに幽閉されて、家族とも会えない状態でした。」

町田「夫人も武装した兵隊たちに囲まれた形になったのですか?」

デヴィー夫人「武装したというか、警護ということでしたから。でもその警護がいつ敵になるかわからない、という不安はありました。

町田「略殺が行われているということはその当時知られていましたか?」

デヴィー夫人「はい、とにかく、その当時、PIというのですが、インドネシアのコミュニスパーティー、共産党の幹部たちは、もう言い訳もできない、そういうチャンスも何にも与えられない、自分たちは無実だ、無実だとは言っていましたけど、逃げる以外にはないということで、逃げ回りましたが、結局全員捕まって、虐殺されています。

その内の一人で、ニョトという、幹部がいたのですが、その方が全身を針金で縛られて、針金を引っ張られて亡くなった、ということを聞いた時、わたくしはまさかそんなことはないと思っていたのですが、この映画をみるとやはりそういうことがあったのか、と。」

町田「この映画をみたご感想はいかがでしたか?」

デヴィー夫人「わたくしは、初めて、1966年を中心に、インドネシアで大虐殺があって、この映画はメダンのところの虐殺しかでてきていないのですが、もうジャワ中、バリ島、スラウェシ、スマトラ、もう村から村へ、総ナメに殺害されていくということで。

あの時、あれだけの人間が殺害されていたのに、国連が全然動かない。全く動かなかった。

国連は完全にアメリカの影響下にあったということは、もうこれでよく分かると思うんですけれども、いずれにしましても、スカルノ大統領は第3勢力を作りあげようとした。そして、アメリカに基地を与えなかった、アジアアフリカのリーダーとなっていった、ということで、アメリカにとってスカルノ大統領は”目の上のたんこぶ”だったんですね。

彼はアメリカによって5回ぐらい暗殺仕掛けられたんですが、幸いに神のご加護によって助かってきたわけですけど。
その映画は大変貴重な、これで初めて真実が世界に伝わるのではないかな、と思います。」

続く

執筆:島田 稔(しまだ・みのる)
大手電機メーカーの技術者としてインドネシア在住9年。その後インドネシアで独立し
現地法人を立ち上げる。2冊商業出版し、現地企業や宗教家などと太いパイプを持つ。
現在はセミナーや執筆、翻訳、進出企業支援を行なう。
ビジネスインドネシア(http://bizidnesia.com/)にて情報を発信している。
お問い合わせはメールでお願いします。
langkah.pasti3@gmail.com

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