「ミャンマー総選挙」(2)スー・チー氏

 「ミャンマー総選挙2015レポート」(2) アウン・サン・スー・チー氏

 今回の選挙で注目すべき点は、アウン・サン・スー・チー氏が党首として率いる「国民民主連盟(NLD)」がどのくらいの議席数を獲得するかということでしょう。

 2012年の補欠選挙で国会の41議席を獲得し第二政党となったとはいえ、それだけの議席数では影響力に限界があるのは明らかです。今回改選となる上院168議席、下院330議席の合わせて498議席のうち、どのくらい獲得できるか注目されます。

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 全議席数664(上院224、下院440)のうち4分の1は軍人に割り当てられているため、軍政の流れをくむ現政権与党の「連邦団結発展党(USDP)」の場合は、民選議席数の3分の1以上を獲得すれば、軍人議席と合わせて過半数となりますが、野党NLDが政権の握るためには、民選議席数の3分の2以上の議席を獲得する必要があります。上院で113議席、下院で221議席以上が必要です。

 アウン・サン・スー・チー氏はすでに70歳。ビルマの独立運動を主導し、その達成目前に暗殺された「ビルマ建国の父」ことアウンサン将軍の娘。母親がインド大使となった1960年にはインドに渡り、それからイギリス、米国とわたり、一時は日本の京都にも滞在しています。1988年に病気の母親の看病のためにビルマ(現ミャンマー)に戻ったのですが、そこで起きていたのが学生を中心とした激しい反政府運動でした。

 帰国した年の8月26日にシュエダゴン・パゴダ前で集会を行い、50万人に向け演説を行ったアウン・サン・スー・チー氏は、9月18日の国軍によるクーデターで誕生した軍事政権に弾圧される民主化運動を目の当たりにして、翌1990年に予定されていた選挙への参加を目指し国民民主連盟(NLD)の結党に参加しました。そして、全国遊説を行うのですが、1989年7月に自宅軟禁されました。1995年には軟禁を解かれますが、その後も何度か軟禁されています。

 軟禁中の1990年に行われた選挙ではNLDが約8割の議席を獲得し圧勝。しかしながら軍は「治安を優先する」という名目で選挙自体を無効としました。その翌年の1991年にノーベル平和賞を受賞しています。

 あれから25年。当時45歳だったアウン・サン・スー・チー氏は70歳となり、当時民主化運動を繰り広げた学生たちは今40代となっています。四半世紀貯め込んできたアウン・サン・スー・チー氏と民主化を求める人たちのエネルギーが今回の選挙をどう導くか注目されます。

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EmNidoリサーチ 
リサーチャー 仁藤誠人  2015年11月3日 

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分類 ミャンマー