[”Medan Osoji Club” さあ、お掃除しよう!]

 インドネシアの第4の都市メダンに友人ができた。そしてその友人が取り組んでいる「Medan Osoji Club」という活動のことを知った。ゴミの落ちていないきれいな街にしようとしている人たちがいることを知った。

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■「Medan Osoji Club」

 活動の名前は「Medan Osoji Club」、略称は「MOC」。「Osoji」はインドネシア語でも英語でもなく、日本語の「お掃除」。つまり日本語にすると「メダンお掃除クラブ」となる。

 毎月2回、日曜日の夕方に有志が集まり、中央公園(独立記念公園)の中のゴミを拾って掃除をしているという。参加するのは主に高校生や大学生。もちろんすべてが無料奉仕のボランティア。活動開始の時間の午後4時が近づくと、どこからともなく人々が集まってくる。

 インドネシアには「ゴムの時間(jam karet)」という時間に対する考え方がある。時間はゴムのように伸び縮みするという考え方だ。特に伸びる。集合時間や開始時間は単なる目安で、厳格には考えられていない。

 最近ますます道路の渋滞が激しくなった都市部では約束の時間通りに着くのも難しく、遅れてしまうことも度々。そんなときは、この「ゴムの時間」の習慣はありがたい。

 MOCの活動が始まったのは2014年11月。当初は少なかった参加者も、今では毎回20~30人が参加する大きな活動となった。毎回10袋程度のゴミが拾い集められるそうだ。

 この活動を始めようと思い立った人物は、仕事でメダンと日本を行き来している角田篤弘(つのだ・あつひろ)さんだ。「ゴミで汚れているメダンの街を何とかできないか」と考え、この活動を始めたとのことである。

 そして、メダンで日本語教師をしているLily Fatma(リリー・ファッマ)先生がその思いに共感した。リリー先生の努力により、参加者が増え、毎月2回の活動が現在まで続いてきている。

 ちなみに「Medan Osoji Club」の下に書かれている「Horas Bersih-Bersih」は、「さあ、お掃除しよう!」というようなニュアンスのメダンのことばだそうだ。「みんなの街はみんなの手できれいにしよう」という気持ちが表れている。

■「Osoji Club」のはじまり

 この活動の名前に「お掃除」という日本語が入っていることから想像できると思うが、ことの始まりには日本人の存在があった。「Medan Osoji Club」に先駆けて活動を始めていたのは首都ジャカルタの「Jakarta Osoji Club」だった。

 メダンの街のゴミ問題を何とかしたいと思っいた角田さんは、Facebookを通じてジャカルタで同様の活動をしていることを知った。その活動は「Jakarta Osoji Club」。角田さんは、さっそくその活動の推進者である芦田洸(あしだ・つよし)さんに連絡をとり、ジャカルタでの活動に参加。そしていろいろとアドバイスをもらって「Medan Osoji Club」を立ち上げた。

 「Jakarta Osoji Club」、略称「JOC」は2102年4月に活動が始まっている。ゴミが捨てられて汚れているインドネシアの街を何とかできないかと思った芦田さんが、この活動を始めたそうだ。

 JOCでは「MALU BUANG SAMPAH SEMBARANGAN」というインドネシア語のスローガンをかかげている。これは「ポイ捨てすることは恥ずかしい」という意味だ。ゴミを拾ってきれいにする活動も大切だが、それ以上に、道路や広場にゴミを捨てることはいけないことだという気持ちを持ってほしいということだろう。

 ジャカルタで始まった「Osoji Club」の活動はその後、バンドゥン、ジョグジャカルタ、メダン、スラバヤ、マラン、そしてバニュワンギなど、インドネシアのいろいろとな都市へと広がってきた。

 ジャカルタの活動には、インドネシアの環境大臣やジャカルタ州知事が視察に訪れたこともあるようだ。そして、2月21日をゴミの日に制定し2020年までゴミをなくそうという運動の展開を宣言してくれたという。

■「見られて恥ずかしくない街にしたい」と思った日本

 海外から日本に訪れる外国人が決まって驚くことがある。「日本はゴミが落ちてなくてきれいだ」と声をあげる。

 トリップアドバイザーが2012年に実施した旅行者へのアンケート調査で、「街中は清潔だったか?」との質問がある。そのアンケート結果で第1位となったのは東京だった。ちなみに第2位はシンガポール。

 先日マレーシアのペナンに立ち寄った。街は驚くほどゴミが落ちていない。表通りだけでなく、あまり人の通らなさそうな路地にもゴミの吹き溜まりは見かけなかった。ペナンの街で、なぜそんなにゴミが落ちていないのかは定かではないが、ゴミの落ちていない街には好印象を持てる。

 日本には古くから自分の家やお店の前の道路を掃除するという文化、風習があった。そしてときには町内会で集まり、街中のゴミ拾いや草むしりなどの活動も行っていた。ところが一方で、人々の暮らしから少し遠ざかった公園や、道路、そして川などには捨てられたゴミが溜まっていた。

 そんな日本が今のようにきれいになったのは1964年の東京オリンピック開催が決まったことがきっかけになったとも言われている。「世界から訪れてくる人たちに見られて恥ずかしくない東京にしよう」と思った人々は、街からゴミをなくしていく運動を全国に広げていったのだという。

■「Medan Osoji Club」の活動に必要な用具

 日本では、ホームセンターなどでコーナーができるほど充実している掃除用具だが、インドネシアではなかなか手に入れにくいものもある。なかでもゴミを拾うときに使う大きなトングのようなゴミ拾いバサミが手に入らない。

 仕方なく、自分たちで竹を使って手作りしたそうだが、使いにくかったりすぐに壊れたりするそうだ。

 先日メダンを訪れたときに、ほんの数本だが日本で購入していったゴミ拾いバサミを差し上げたが、とても使いやすいと喜んでもらえた。

 今度はもっと多くを送ってあげたい。ご賛同いただける方々からのご連絡を期待している。

■「Osoji」がインドネシアで標準語になる日

 インドネシアで誰しも知っている日本語がある。「Kokoro No Tomo」だ。五輪真弓さんの歌のタイトル「心の友」のことだ。日本ではあまりなじみのないこの曲だが、インドネシアでは多くの人が知っている。歌ってみてくれる人もいる。そして、「ねっ、知ってるだろ?」と聞かれるが、「さあ、聞いたことがない」と答える。「うそだろう、日本人じゃないのか?(笑)」と返される。インドネシアと触れ合ってもう5年。今では少し口ずさめる。少々音痴だが。

 この「Kokoro No Tomo」と同じように、いつの日か「Osoji」がインドネシアの誰もが知っている言葉になるのではないかと想像するとわくわくする。

 みんなの力で街がきれいになっていくインドネシアの変化が楽しみだ。

 頑張れインドネシアの若者たち。君たちがインドネシアの未来を創る。

〔参考〕

 

2016年10月7日

津田正利

 

 

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