(連載)「インドネシアの生活風景」   (7)ボランティア教育活動

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●外国語を学び、世界を知るインドネシアはスハルト政権時代から小学校、中学校は義務教育制度となりましたが、教育水準はまだまだ他のアジアの国からは遅れています。
各国で行われている物理や数学国際大会ではこちらの代表生徒たちはよく金や銀メダルを獲得しているにもかかわらずです。
インドネシア義務教育の小学校では一般に大学を出た教師が決められた科目を時間通りに教えていきます。
でも生徒たちは実際現在各分野での専門家、現在色々な方面の仕事で成功している人たちの話を聞く機会がありません。
そこで3年前、今の教育大臣であるAnis Baswedan氏の発想でインスピレーション・クラス(Class Inspiration )というのが作られました。

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これはボランテイアの形で大学出の一般の人たちが自分たちの費用でインドネシア中の各地の教師や設備が不十分な小学校に出向いて、授業を受け持ちます。
このインスピレーション・クラスの目的は子供たちに将来への夢、希望を四つの信念、それは正直、自立、努力、そしてあきらめない心を基盤としてより強く植え付けるためです。
一日教師になった人は自分の小学校時代や教育を得た過程、今自分はどんな状況にいるのか生徒たちに話します。
特にその人がいろいろな努力や苦労の経験によって現在成功しているということを伝えます。職業は医者や、教師、ある会社の幹部、弁護士、パイロット、軍隊など色々です。授業を受け持つ日は普通の日ですから、ボランティアたちは一日休暇をもらいます。
今回は現在北スマトラの州都、メダンの日本領事館に勤めているアッマド・ハナフィ(Ahmad Hanafi)さんという38歳の方が授業を受け持ちました。
彼はTanjung Kuba●小学校6年生とhという小さな村で生まれ、小学校は家から1キロもある学校にあるいて通いました。自転車もない状況の家庭でした。大学はお母さんの進めでメダンに行けることになり、日本語科に入学しました。教師実習期間を日本で六ヶ月間得て帰国してから、北スマトラの西側の海に浮かぶ小さな島、二アス島で起きた大地震災害の時、JICA国際緊急援助隊の通訳として活躍しました。またこちらの私立大学と公立高校で日本語教師としての経験もあります。その後メダン在日本国領事館につとめて現在に至っています。
彼は子供たちを教●IMG_0971育するのは教師だけの任務だけでなく、すべての教育を受けた人たちが責任を持つべきだという考えを持っています。こちらでは生活水準が低い家庭の子供たちは夢、希望とは何かということがまだはっきりわかっていません。夢を持っていても、まだそれを口に出すことに対し、勇気をもっていません。それはなぜかというと、貧しさそして両親も教育水準が低い人が多いからです。そこで子供たちにどんな夢をもっているか、どんな勉強が好きか、特に外国語を一生懸命学んだら、いつかはかならず自分のため、たくさんの人のために役に立つことを伝えました。ハナフィさんは両親が裕福でないけれど、一生懸命努力し、外国語を習得しただけで、外国へも行けたし、あらゆる職業の人たちにも会い、インドネシア各地へも足を運ぶことができました。
ことばを学ぶことは窓から世界へ飛び出せること、自分の国以外のことを知ることは自分を成長させることなどを子供たちが理解できるよう優しいことば、そして絵などを使って、みんなが興味深く聞けるように伝えました。その結果子供たちはとても喜び、またいつ来てくれるかと聞かれたそうです。
正直に言うと、彼は小学生の教師になることは思ったより簡単ではないとわかったそうです。
彼はこれからもずっと子供たちにインスピレーション、夢、そして希望を与え続けていきたいと言っています。
また他の人たちにもどんどんこの意義ある活動をボランティアとして力を注いでいってほしいと願っています。
一日教えたら、一生インスピレーションを与える!
これがインスピレーション・クラスのスローガンです。
これからもどんどん活動していってほしいですね。

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著:Lily Fatma (リリー・ファッマ)

 逗子生まれ。父親はインドネシアの北スマトラ出身、母親は日本人で横浜生まれ。小学校と中学校は日本の教育を受け、その間も外交官の父についてインドネシアと日本を往復。高校在学中に在日インドネシア大使館を退職した父について帰国。現在はメダンで高校生、大学生、一般の人に日本語を、そして日本人にはインドネシア語を教えている。

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