[コラム] ミャンマー選挙後のNLDの試練

 

 2011年の民政移管後初めての総選挙が行われ、前回の2010年選挙をボイコットしたアウン・サン・スー・チー氏及び同氏率いる「国民民主連盟(NLD)」にとっては、1990年選挙から25年間待ち続けた瞬間がようやく訪れようとしています。大量議席を獲得する見込みのNLDが政権を握る時代の幕開けです。ただし選挙に勝っただけで大喜びはしていられません。この先、NLDにとっての試練が続きます。

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 現政権与党の「連邦団結発展党(USDP)」のテイン・セイン大統領政権で軍事政権から民主政治へと形としては移管していますが、USDPは軍の流れを汲む政党で、テイン・セイン大統領も軍人で、真の民主化ではないという声も聞かれます。

 しかしながら、テイン・セイン政権は民生移管を混乱なく進め、2011年から2015年の間で年平均7.5%の経済成長も実現し現在のミャンマーを作り上げてきた実績もあります。米国による経済制裁も一部解除()となりました。

 今回の選挙で改選議席数の3分の2以上をNLDが獲得すれば、議席数の4分の1の軍人議員が反対に回っても、議席の過半数を持ちNLD単独で国会運営を行っていくことができます。ただし、NLDが政策運営をしていくためには、これからいくつかの試練を乗り越えていかなければならないでしょう。

1.大統領の人選

 NLD党首のアウン・サン・スー・チー氏は、外国国籍を持つ親族(息子2人)がいるため、憲法の規定により大統領にはなれません。(※憲法改正の議論が行われたが否決

 スー・チー氏は投票日直前の記者会見で「我々が勝利すれば、私は大統領よりも上に立つことになる」と語っており実質的に政策運営を行う意志を示していますが、国際世論がそれを受け入れるか疑問です。

 新大統領は2016年2月頃に、上下両院と軍人枠の3グループから1人ずつ副大統領候補を選び、その3候補の中から議員の投票で大統領を選出することになっています。NLDの大統領候補者は明らかにされていません。

2.アウン・サン・スー・チー氏のひとり人気

 NLDが大きく得票数を伸ばした背景には、国民のアウン・サン・スー・チー氏(70)への人気の高さがあります。スー・チー氏はミャンマーの「建国の英雄」としていまでも国民の敬愛を集めるアウン・サン将軍の娘として多くの人たちから愛されています。スー・チー氏は長く海外で過ごしていましたが、ミャンマーに戻った1988年以来、同国の民主化運動を四半世紀以上続けてきたことも、多くの支持を集める理由になっています。(※関連記事

 今回NLDが選挙で勝利したのは、アウン・サン・スー・チー人気が大きな要因であったことは否定できないでしょう。問題は70歳となったアウン・サン・スー・チー氏の支援者と後継者です。スー・チー氏以外に人として国民の支持を集められる人材がNLDに存在するのか、注目されます。

 

3.大臣任命と政策運営経験

 政策運営は大統領だけではできません。35程度の閣僚を配置する必要があります。政策運営経験のないNLDが、どこまでこの閣僚の席に適切な大臣配置ができるかが、カギになっていくでしょう。

4.国軍との関係

 現政権与党の「連邦団結発展党(USDP)」は、国軍と密接な関係を持ちながら国政を行ってきました。今回の選挙でNLDに投票した人たちの多くは「軍嫌い」を理由が背景にあるのも事実です。NLDが政策運営を行うようになった後、国軍との関係をどのように保っていけるかが課題です。まだ混乱の続く少数民族武装勢力の鎮圧には軍の力が必要でしょう。

5.NLD反対勢力「マバタ」の存在

 

 保守派仏教団体「民族・保護委員会(マバタ:Ma Ba Tha)」は、NLD及びアウン・サン・スー・チー氏への批判を選挙前から声高に行っています。熱心な仏教徒の多いミャンマーにとって権威ある仏教の師の発言は大きな影響力を持ちます。2013年に結成され、イスラム排斥運動で国際的に知られるウィラトゥ師が率いるこの組織は全国に200以上の支部を持ちます。その発言力の政治への影響度合いが注目されます。

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エムニド・リサーチ
仁藤誠人  2015年11月10日 


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