[連載] 「カンボジア、いま 2015」     (2)昭和30年代の日本の地方都市、プノンペン

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プノンペン国際空港から車で20分ほどの地域に最近の新興企業はオフィスを構える。そしてそこにはホテルが増えてくる。上海の虹橋近辺と同じような発展なのかもしれない。現時点ではビルは高くなく、どちらかと言えば、空は美しく広がっている。私は富山県の生まれなのだが、昭和40年代の富山市のほうがまだまだ発展していたと感じた。中国は人口13.6億人、カンボジアは1500万人で、上海同様の発展はしないまでも、空港に近い新しい地域が開発されているのは自然の成り行きだ。
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02-01カンボジアは1967年から1993年が内戦時代と言われている。ポル・ポト派(クメール・ルージュ)の国民に対する大量虐殺と破壊が終わってから、まだ20年程しかたっていないが、街中の人々の笑顔はやさしい。02-02この国の自動車事情は、数年前からレクサスが人気の車種で、いたるところにレクサスがあり、5、6台に1台はレクサスという感じ。しかしながら、車の数以上にトクトクがあるので、トクトクを自動車とみなすと、レクサスは20台に1台という感じか。


最初に宿泊したホテルは、カンボジア資本のホテルで伝統的なカンボジアンスタイルで私を迎えてくれた。どのホテルにもフロントの近くに祭壇があり、宿泊客とホテルを守ってくれるそうだ。そのおかげか、楽しい視察旅行だったことを今さら思い出した。(続く)02-04

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著:有澤和歌子(ありさわ・わかこ)

wombプロジェクト代表、idiscover設立準備中
 旅行・海外出張で50か国を訪問。近年はアジア、特にASEAN・中国を中心に活動。富士通ではマーケティング、ITベンチャーのホットリンクでは広報責任者として従事した。自身の晩婚・不妊治療・高齢出産の経験より「卵子の老化」を若者に伝えることがライフワーク。富山県出身、青山学院大学経営学部卒。

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