<次話>
第1話: 30年ぶりのシンガポール (有澤和歌子)
2015年7月16日日曜日、羽田空港国際ターミナルよりシンガポールチャンギ空港に向かった。6時間後はもうシンガポールという近さ。そんなに近いのに、なんで30年ぶりなのか?
成人してから約30年の間に、出張・旅行を含めて訪れたのは約50か国。人生二度目の海外旅行先がシンガポールだった。特にASEANについてはどの国も何度も再訪しているのに。実は、30年前にシンガポールに行ったとき、「もう一度行きたい」という興味がもてなかったのだ。その時はまだ建国20年。日本語を話す現地ガイドが「シンガポールではつばを吐いても、ごみを捨てても罰金です」と言うように法律面でも整備された街並みはとても美しかった。当時はシンガポールとタイの2か国を訪問したのだが、タイの活気の方が私には合っていたというだけかもしれない。(タイについては20回以上行ったのだから。)
出張でない限り、もう一度行くことはないだろうと思っていたシンガポールに行ったのは、中学1年生の息子が語学短期留学をすることになったのがきっかけである。ASEANビジネスを考えていたため調査したいことがあり、また、投資家として有名なジム・ロジャーズがアメリカからシンガポールに引っ越し(2007年)をした話にも興味があり、私も1か月シンガポールに滞在することにしたのであった。(夫が驚いたのは言うまでもない。息子と私は別々の家庭でホームステイをした。)
30年前のシンガポールでは、オーチャード通りのブランドショップで買い物をし、ラッフルズホテルでシンガポールスリングを飲み、ボタニックガーデンを歩いた。長距離バスに乗ってマレーシアのジョホールバルに足を伸ばした2泊3日であった。今中国人観光客が銀座を闊歩するように、当時のオーチャード通りには日本人買い物客が大勢つめかけ、片言の英語でブランドもののバッグや財布を値切っていたっけ。シンガポールの人口は30年前の1985年が2.74百万人で2014年は5.47百万人。30年で約2倍の人口となっていた。
さて、30年ぶりのシンガポールは「きれいじゃなくなった」というのが私の第一印象であった。人口が2倍になったからかもしれないが、以前来たときは本当に道にゴミは落ちていなかったし、いろんなところが整然と美しかったのだ。滞在中に友人(インド人)宅に遊びに行ったのだが、日本在住の10歳のインド人の男の子がいた。「シンガポールは清潔じゃない、きれいじゃない。早く日本に帰りたい」と言っていたのが印象的だった。
余談ではあるが、今回私はインド系シンガポーリアン宅に滞在の予定だったのだが、そのおうちに行ってみると、語学学校の手違いで受け入れていただけなかった。結局3時間後に中国系シンガポーリアン宅に滞在することが決まった。この家庭に滞在したことで、シンガポールの一般家庭や教育・兵役など様々な話を聞くことができた。災い転じて福となす、だったと知るのは滞在二週間後あたりである。
(続く)
著:有澤和歌子(ありさわ・わかこ)
wombプロジェクト代表、idiscover設立準備中
旅行・海外出張で50か国を訪問。近年はアジア、特にASEAN・中国を中心に活動。富士通ではマーケティング、ITベンチャーのホットリンクでは広報責任者として従事した。自身の晩婚・不妊治療・高齢出産の経験より「卵子の老化」を若者に伝えることがライフワーク。富山県出身、青山学院大学経営学部卒。