(連載)「インドネシアの生活風景」(26)

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(26)日イの架け橋となることを願って!
        北スマトラ日本兵の子孫たち (Lily Fatma)

 

 メダン市及びその近辺にはインドネシア独立達成のために多くの力を与えてくれた元日本兵の子孫がたくさん存在しています。独立のために共に戦ってくれた日本兵の祖父、父を持つ彼らはお互いの絆を強めるために1979年08月09日に「ヤヤサン・ワルガ・プルサバタン」(福祉友の会)という集まり会を設立しました。正式に国に登録されたのは1979年07月14日です。lily 26-01

 今回はその福祉友の会メダン支部会長の梅田治男さんにお話を伺いました。

 

 

 

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 この会設立の目的は大多数の一世は亡くなっているので、日本の文化、日本人の気質などを残された子孫たちが受け継いでいってほしいという亡き彼らの希望を叶えてあげたいという気持ちからだそうです。
 現在は会の支援で二世、三世たちのために太鼓クラブ、生け花会、折り紙、日本の伝統的な舞踊などを定期的に教えています。教える人たちはやはり日本に長く住んでいたことがある二世や、それらの芸ごとを知っている知り合いなどが受け持っています。また日本の人たちの慣わしである忘年会、慰霊祭、春、秋のお彼岸なども毎年行っているそうです。慰霊祭はメダン市の端にある日本人墓地に年に二回、二世三世、そしてメダン在日本領事館、メダン・ジャパン・クラブの日本の人たちと共お墓を掃除したり、お参りをしています。

 また会のメンバーである二世、三世たちの冠婚葬祭などにおいて、お互いに資金援助や手伝いにいったりして絆を深めていっています。
 インドネシアと日本との繋がりを強めるためにも今まで、梅田さんは他の委員の人たちと共に日本及びインドネシア側が催す色々な会に通訳として協力したり、援助したりしています。

 大多数の三世はまだ義務教育の年齢が多いので、友の会支援の奨学金も出しています。また日本へ働きに行きたいという二世三世のために、日本に関するあらゆる情報も提供しています。
 梅田さんは今後もできるだけ、日本とインドネシアとの繋がりを深めるため、経済的、社会、文化、教育、観光に関する分野においての架け橋になりたいと願ってやみません。
 そのためにはこれから子孫たちに日本のことについての知識を広め、特に日本語の教育を正式にやって行きたいと思っています。

 日本に何年か住んでいた二世たちは日常の会話はできる人が多いですが、きちんとした日本語が不十分なので、これからいろいろな方面で活躍できるようにするには、やはり日本語を基礎から教えるべきだと考えています。

  梅田さんのお話では最初のころ、日本の人たちとの会話で勘違いしたエピソードがあるそうです。それは日本では自分を指すときは自分の鼻を指しますが、インドネシアではなにか匂いがするという意味だと受け取る人が多いので、勘違いすることが多かったという話です。
 またこちらではドゥリアンという独特の匂いを持つ果物がありますが、梅田さんは何回か日本の人にこの果物の匂いは何に例えられる?と聞いたことがあります。その人は「トイレの匂いに似てる」と言ったので、梅田さんは「わあ、日本のトイレはいい匂いがあするんですね」といったそうです。(笑い)『多くのインドネシア人にとってドゥリアンの匂いは本当にいい匂いだと思っているので。。。

 日系二世、三世の人たちがこれから日本とインドネシアの架け橋になって多いに活躍していってほしいですね。lily 26-02

 

 

著:Lily Fatma (リリー・ファッマ)
 逗子生まれ。父親はインドネシアの北スマトラ出身、母親は日本人で横浜生まれ。小学校と中学校は日本の教育を受け、その間も外交官の父についてインドネシアと日本を往復。高校在学中に在日インドネシア大使館を退職した父について帰国。現在はメダンで高校生、大学生、一般の人に日本語を、そして日本人にはインドネシア語を教えている。

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