(連載)「インドネシアの生活風景」   (6)物売りで頑張るお母さん達

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 こちらインドネシアでは各地の都市に(Pedagangang kaki lima)屋台またはPedagang asonganという色々な商品を売り歩いたり、一つの場所に物を広げている商人をたくさん見かけます。
 こちら北スマトラの州都、メダンにもいたるところに若い年齢から年いった売りやさんが歩道の上や、ある決まった場所で商売しています。
 ここメダン中央広場にも特に年配の女性が多く売り物を自分の前に置いて売っています。

 今回は彼女たち何人かに質問してみました。

DesさんとSamsiarさん
 第一番目のお母さんの名前はデシー(59歳)さんで西スマトラのパダン出身ですが、現在はメダンで生活しています。このような売りやさんをしてからもう
15年になるそうです。Desiさんの夫
 子供が四人いるので、生活費、教育費を稼がなくてはという理由ですが、ご主人はむかし博打で負けて、現在は奥さんといっしょに同じ売りやさんをしているそうです。

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 もう一人はサムシアール(59歳)さんでなんと子供が九人、孫は十三人!独立した子供さん何人か彼女に生活費を与えているそうですが、彼女自身が家で何もしないというのが我慢できない人でこうやって南京豆の煮たのや、おもちゃなどを売っています。これまで八年間売りやさんをしています。

 そして三人目はサハラ(55歳)さん。彼女はまだここで売りだしてから三ヶ月です。南京豆の煮たのやミネラルウオーターなど。こんな商売をしだした理由はなんと一人っ子の娘さん(18歳)がデング熱にかかり、亡くなってしまったからだそうです。寂しさを紛らわそうとやりだした仕事ですが、けっこう楽しんでいるようです。

 最後はバイム君のお母さん45歳、こどもは四人で孫はもう二人います。ご主人の収入ではとても足りないので、ここで売り出したということです。Baimさん、45歳(飲み物などの売り屋さんと  Sahara さん(南京豆売り屋さん
みんなここで商売をしてから、別に外からの障害、問題は起こったことないそうです。

 一日の収入は平均五万から十万ルピアぐらいです。広場の掃除かかりの人に一日二千ルピア払っているだけで、あとは全部家の収入になるそうです。
ご主人の手助けですね。お母さんというものはどこの国でも強い!

 お母さんたち、がんばってね!

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著:Lily Fatma (リリー・ファッマ)

 逗子生まれ。父親はインドネシアの北スマトラ出身、母親は日本人で横浜生まれ。小学校と中学校は日本の教育を受け、その間も外交官の父についてインドネシアと日本を往復。高校在学中に在日インドネシア大使館を退職した父について帰国。現在はメダンで高校生、大学生、一般の人に日本語を、そして日本人にはインドネシア語を教えている。

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